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鰹節屋の昔話
第四十七 話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
近甚、中弥、近惣
戦後も江戸橋の橋際、日本橋川の本町の小舟町側の川岸に、大震災後に作った昔風の店が三軒並んでいました。いずれも江戸時代から続いた老舗の鰹節問屋で、江戸橋の橋際で目立っていました。どの店も住まいが二階で、一階がお店、地下には蔵もあり、そして桟橋に繋がって、鰹節の干し場にもなっていました。
戦前は桟橋から猪牙舟で深川高橋の伊勢喜へ家族で出かけたと言うことを私と同年輩の中弥の次男から話を聞きました。戦前の大店の鰹節問屋の暮らしは文化的というか、かなり優雅だったと思います。
この三軒の建物のうち最後まで残ったのは近甚でしたが、今はビルに改築して貸しビル業に変身して鰹節の方は廃業しています。文化功労者でたしか読売新聞の題字を書いた著名な書家、豊道春海(ぶんどうしゅんかい)が書いた近甚という字をビルの入り口の石碑にコピーしてあります。本物は上階にあるビルの事務所に飾ってあります。