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鰹節屋の昔話

鰹節屋の昔話

二十七

 

二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください

削節のセルハン袋詰め

戦前、東京では家庭では、鰹節は自分でかいて使っていて、削節は殆ど、鰯、鯖などで旅送りと言って、 主に地方の削り屋さんのボール紙箱詰めものでした。

鰹の荒節は早いと10日くらいで出来るので、飲食店が少ないせいもあって、 小売屋さん向けに鰹の削りをセロハン袋詰めして売り始めた処、随分売れました。

削る嵩を大きく見せる為に出来るだけ薄く削る様になりました。

実は鰹の削りは、戦前は業務用で、かなり厚さがあり、薄いボール紙位だったのに、 セロハンに入れた時の見た目が良いので、かなり薄く削る様になりました。

当時,大阪の削り屋さんは,鰯,鯖は目方売り,鰹の削りは升で計って売っていたという話でした。
大阪は黒門、木津などの市場の中の店の他、市内に削節専門店が、かなり多く、其処では袋詰めは無かった様に聞いていました。
 
注. 現在の削り節は、不活性ガス(窒素です)を充填したパック詰めで販売されて おりますから、酸化の心配がありません。

しかし、その技術が開発されたのは昭和43年。
それまでの削り節は、紙の箱、セロハン、紙袋に入れて販売されておりました。

弊店の築地の店頭では、削り節を袋に詰めて販売しておりますが、 これは、料理屋さんが、その日のうちに使うことを前提にしております。
 

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