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鰹節屋の昔話
第二十五 話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
米軍慰安施設
戦後直ぐは、市場は配給の魚と少しばかりの業務用(飲食店向け)だけでしたので、 戦前の様な賑わいはありませんでした。もっとも業務用も進駐軍御用の『JRA』指定の 慰安施設向けについては特別でした。その『JRA』は当時『ジャバンラシャメン協会』と云われていました。なかなか上手な愛称? と覚えています。何品に拘わらず此処へ納めていた業者はかなり潤っていたのではと思います。
銀座の松屋と新宿の伊勢丹が米軍のPXとして接収されていた頃で、日本の軍隊では酒保と云うと聞きました。
築地に限らず、世の中が勢いづいたのは、なんと言っても、昭和25年の朝鮮動乱の物価高騰です。
注. |
特殊慰安施設協会 Recreation and Amusement Association どうやら『JRA』ではなく『RRA』が正式名称のようですが、 当時の築地あたりでは『JRA』またの名を『ジャバンラシャメン協会』 と呼ばれていたようです。 どんな団体かと云えば、日本政府の要請で昭和20年8月28日に 組織された、連合国占領軍人、兵士のための国策特殊慰安施設の ための団体。連合軍への慰安婦斡旋が仕事だったようです。 |