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鰹節屋の昔話
第二十四 話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
戦争が終わって
戦後、鰹節を始めて手に出来たのは、戦時中、企業閉鎖を強いられた代償で持たされていた 鰹節統制会社の株式を、その解散に当り配分になった、亀の鰹節二貫目(約8Kg)でした。かなり古い鰹節で、水分が全く無く、鰹節の香りどころか、布団を長く押入れに仕舞って 置いて出した時のような匂いのする節でした。日本橋小舟町の会社まで自転車に乗って持って帰ると、 明治生まれの父はこんな肥料にもならないような物を売れるかと捨てて仕舞えと云われました。
後で聞くと売った業者もいた様でした。
統制が解除になってから、私のところは戦前から取引のあった焼津から製品が少しづつ来る様になり、 お陰で、仲間商いも結構出来ました。商品があれば売れた頃です。
統制会社解散後に創立された鰹節組合でも、入札が始りましたが出品が少なく、パットしませんでした。
注. |
「仲間商い」とは、同業者間取引を指します。 伏高は焼津から仕入れた鰹節を東京の他の鰹節屋に卸売をした、と云う事です。 |