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鰹節屋の昔話
第二十三 話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
ゴム長・冷蔵庫
ゴム長靴を始めて作ったと威張っていた親父さんのミツウロコの小さい店がありした。ミツウロコ印は今でも残っていますが、まさか、この親父さんが始めて作ったとは・・・ 本当だったのですかね。その親父さんが、靴底の修理でコテを使って、ゴムを焼く匂いは忘れません。
その隣に、この町で一番大きい建物、東水(戦前の卸売会社は一社でした)の冷蔵庫がありました。
此処の前は、小揚げ(卸会社が仲買に荷物を運ぶ人達)の溜まり場、 卑猥な会話が飛び交い、おかしな落書きがあったりしている場所でしたが、 「熊さん」というおやじが何時もニコニコと子供みんなを可愛がってくれて、 乱暴な若い衆に睨みを利かしてくれていました。
熊さんは若い衆にはとても恐い存在だったようでしたが、私の父親には一目置いて話をしていました。 小揚げの親玉(?)と言うところだったのですかね。冷蔵庫の中に入れちゃうぞとからかったり、 本当に入れて呉れたり、今でも熊さんの顔が浮かびます。私みたいにおとなしい子供が好きだったのでしょうかね。
戦後この人が店へ来て、小揚株式会社の取締役と肩書きの付いた名刺をニコニコして とても嬉しそうに渡してくれましたが。名前は覚えていません。
何所でも熊さんで通って来てた人ですから、姓名は不要でした。
鰹節屋ならでも、伏高なら判りますが、中野と言う姓は殆ど知られていないの同じです。
注. | 小揚げ(コアゲ)とは市場内で仕事をする運送屋です。産地から到着した荷物をセリ場まで 搬送したり、セリ落とされた商品を仲卸まで運ぶ仕事をしています。 |