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鰹節屋の昔話

鰹節屋の昔話

十七

 

二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください

附属商、遠藤食堂

今は関連と言われていますが、昔は附属商と呼んでいました。
店の裏、川の向側に附属商が見えました。

今より数も少なく、一軒当りが広い店でした。
こちらの裏から見える店に、遠藤食堂という看板の掛った食堂がありました。 店のお客と思いますが、此処のおかみさんと父親が懇意でした。 私の知った頃はもう、御主人が召集で戦地へ行っていて気の毒と、何かと相談に乗っていたようです。

このおかみさん、父親の言うには、銚子の出で、「そうだけれど」を「そうだきっと」 言うと当人の前でからかっていました。
いつもゴム長靴を佩いていて、どう見ても、きりょうの方はいまいちでしたが、 キップの方は良い人でした。此処は競馬の呑み屋が出入りしていた様です。尤もその頃、 河岸の飲食店は殆ど呑み屋の出入りがあったと思います。父親は子供の中で、 小さい私だけを食堂に連れて行ってくれたのは、呑み馬券を買う為のカモフラージュだったと思います。 始め呑み屋と言う言葉を聞いた時は判りませんでしたが、 子供でも何時の間にか呑み屋は何をするのかを知る様になりました。

父親は、人に勧められて、初めて買って貰った馬券が、制限の最高10倍近くの9倍に なったのが病みつきになったと、自慢だか言い訳だか判りませんが、何かにつけて、 その話をしていました。ビギナーズラックは昔からあるのです。でもその後は当時、 土日が休みでないせいか、一枚20円もする馬券をなかなか買い辛いかったのか、 呑み屋を使って2円くらいで遊んで(?)いたのではと思います。

遠藤食堂は戦後も大分経ってから、寿司屋に転業しました。それが大和寿司です。 そのことは何れ又。

 
注. 鮮魚と野菜の卸と仲卸だけでは市場は機能しません。
市場で働く人、買出人などの為の飲食店、かつお節、お茶、玉子焼き などなど、鮮魚や野菜以外を扱う物販店も必要です。
これらの飲食店や物販店は関連や付属商と呼ばれており、市場内の ある地域に集まって営業しています。
 

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