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鰹節屋の昔話
第十六 話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
ガソリンの渡辺石油
寄せ物屋の隣の角にあった店が、今、市場橋の所でガソリンスタンドを営業している渡辺石油。昔はあのでかいガソリンのドラム缶が一杯置いてありました。 スタンドの無かった時代はこんなものだったのと思います。
ドラム缶の上からホースで自動車のタンクへ入れるのですが、 とても忙しい様には見えませんでした。給油に来る車の殆どがトラックで、 乗用車が来たのを見たことがありませんでした。 車より、魚河岸に寄港する船に大量に売っていたのだと思います。
小さい店の上、油まみれなのでなかなか寄り付けませんでした。
それより此処の店頭に置いてあったラジオはどういうわけか我家にあるラジオと 違って大きな音量で、道行く人に聞かせていました。
何しろ真空管ラジオの並型4球ができるまで、ラジオが無い家が多かったせいか、 特に六大学野球のリーグ戦の時は通りがかりの人達で、もう黒山の人だかり、 歩道からはみ出すほどでした。
尤も近くの若い衆もかなりいましたから、用を作って息抜きに来ていたきらいもあったのではと思います。 何しろ家の小僧さんも居た位ですから。
甲子園の中等野球は、当時、東京では余り人気なかったのか、人だかりの記憶がありません。 夕方の相撲放送の時は黒山でした。双葉山が安芸の海に敗れた時の放送は家で聞いていましたが、 外からの歓声は凄いものでした。戦後TVが中々買えず (昭和28.9年頃フリップスのTVが28万くらいしたはずです) 喫茶店などで見たりしていたのと同じです。