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久保智英を育ててください
久保 智英(くぼ のりひで)
昭和46年12月7日、鹿児島県枕崎市の鰹節製造家である久保多喜男氏の長男として生まれる。高校卒業後、東京の経理専門学校に通う。家業である鰹節製造業を継ぐのがイヤでイヤで、卒業後もアルバイトをしながら東京で暮らす。平成4年5月、父である久保多喜男氏が病に倒れたため、渋々、家業を手伝うために枕崎に戻る。ちなみに多喜男氏は週刊ポストの「世界のロングセラー」に取り上げられたほどで、節作りの達人として業界内での評価が高かった。
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私が初めて久保智英さんと出会ったのは平成5年9月。
当時の久保さんは典型的な「やる気のない跡継ぎ」だった。
元々、鰹節屋が嫌で仕方なかった久保さんだから、父親の体が良くなり一緒に働くようになると親子喧嘩の毎日。必要最低限の仕事が終われば仲間と遊びに出かけてしまう。一応は跡継ぎだったが、自分から進んで跡を継ぐための勉強などする気もなく、与えられた仕事だけをする日々だった。
そんな彼に「真面目に鰹節屋をやる気が出てきたらウチが取引をするから・・・」と私は言ったらしい。実は、私自身はそんな事を言った覚えがないのだが・・・当時、本節や亀節を作る若い後継者はほぼ皆無の状態だったので、ダメもとで話したに違いない。
さて、平成8年、「やる気のない跡継ぎ」だった久保さんに転機が訪れました。
母親が入院してしまったのである。鰹節製造家にとって専業主婦はありえない。家事の傍ら、節作りにも従事せねばなりません。長年の働き過ぎで、とうとう動けなくなってしまったのです。奥方様の入院に相当なショックを受けた多喜男氏は気力が失せてしまい、次第に仕事から遠のき酒びたりの日々。
その頃の久保家は達人と言われた多喜男氏が作る本節で生計を立てていたのですから大変です。息子の智英さんには極上の本節を一人で作れるような腕はありません。まさに久保家存亡の危機。久保さんがもし単なる放蕩息子であったなら、この時、何もかも売り払って商売を辞めてしまったかもしれません。でも、この逆境が久保さんの「やる気」を呼び起こしたのです。
自分が持つ技術で出来る仕事・・・削り節原料である荒節の製造・・・で生計をたてようと考えました。
でも、それまで製造家の経営そのものにはノータッチだったので、売り先もなければ経営ノウハウもまったく持っていなかった。そこで、久保さんは枕崎にある大手荒節製造家の下請けをすることにしました。
下請けをすることで生活費を稼ぎながら、鰹の仕入れ方、原価計算、銀行との交渉術等々の経営ノウハウを勉強していったのです。
平成12年1月、築地の店頭にひょっこり久保さんが現れた。
「やっとやる気になりました。頑張って荒節を作りますから、取引をお願いします」。
私が久保さんに初めてあった時に彼に言った言葉を覚えていて、わざわざ鹿児島から東京まで荒節の営業にきたのです。この時、お母さんが病気になってからそれまでの事を聞きました。
下請けをしながら勉強した結果でしょう、話してみるとすっかりプロの鰹節製造家になっていた。下請け以外の仕事も必要と感じ始めた久保さんは7年前の私の言葉を覚えていて築地まで営業に来たとの事。それから久保さんとの取引が始まったのです。
ちなみにその年の4月にはお母さんが亡くなられて、12月にはお父さんも亡くなってしまった。平成12年、久保さんは名実ともに独り立ちした鰹節製造家となったのです。
前々から申し上げておりますが、現在、仕上節(本節や亀節)作りの後継者は皆無に等しい状況です。なぜなら、仕上節作りだけでは生計が成り立たないから。このままでは10年後には「真っ当な仕上節」を作れる製造家はいなくなります。薩摩型本節ならあと5年くらいでしょう。
このため、数年前から後継者候補を探しておりますが、目下の所、久保さんが最も有力な候補です。
悲しいかな「仕上節を作るだけでは生計が成り立たない」状況は続きます。
ある意味、商売を度外視しないと極上の仕上節は作れません。そこで、荒節等の分野ですでに経営が成り立っている製造家で、なおかつ、ある程度仕上節製造を習得している若手を見つけねばなりません。枕崎や山川(鹿児島県の生産地)に20代・30代の若手製造家がいることはいるのですが、まだまだ親に頼っています。
自分の力だけで鰹節工場を経営している若手は久保さんただ一人。久保家存亡の危機に、下請けで苦労しながら一人で努力した結果です。一昨年の品評会では荒節部門で「水産庁長官賞」を受賞し、荒節製造家としての地位を確立したので経営的にも安定しています。また、その昔は嫌々ながらも父親が仕上節を作る手伝いをしておりましたので、基本的な技術は習得しています。
久保さんは私の期待の星、次代の仕上節を担う男になってほしい。
平成12年に久保さんと取引を始めるにあたり「将来は仕上節を作ってほしい」とお願いをしました。以来、薩摩切の技術の習得も視野に入れ、久保さんは仕上節作りの研鑽を積んできました。
実際、弊店では2年半ほど前より久保さんから本節を仕入れています。通信販売の商品では、 薩摩背節、 薩摩腹節、 鮪本節は久保さんが仕上げた節。井上さんの作る節に比べると、正直、まだまだの部分がありますが、間違いなく上級品です。日本料理屋さんや蕎麦屋さんにも使って頂いていますが、クレームは一切ありません。
さて、久保さんにはもうひと頑張りしてもらい、井上さんクラスの技術を身につけてもらわねばなりません。それには「自分が将来の仕上節を担う」という本人の強い自覚が必要です。
私は久保さんに「荒節の製造は従業員に任せて、仕上節は自分一人で作れば絶対に良い節が出来るから・・・荒節を沢山作ってベンツに乗る製造家も一流かもしれないが、荒節も仕上節も最高の節が作れる製造家が真の一流なんじゃないの」と話しています。でも、久保さんはまだ若いので、「お金にならない仕上節よりも、今はまだ荒節を作って事業を拡張したい」との思いが心の片隅にまだあるようです。私の言葉だけでは足りません。
そこでお願いがあります
久保さんに励ましの言葉をいただけないでしょうか
鰹節を日々使ってらっしゃる方々から寄せられる期待と激励を目にすれば、心揺らいでいる久保さんも「自分が将来の仕上節を担う」と自覚し、今までにもまして技術の研鑽を積むと確信しています。
私が次代の仕上節を担う製造家として大いに期待している久保智英が丹精こめて仕上げた節をご賞味いただき、忌憚のないご意見・ご感想をお寄せください。お客様からの生の声が一番の励みです。
私と一緒に久保智英を育てて下さい。宜しくお願い申し上げます。
築地仲卸 | 伏高 | 三代目店主 |
追伸、 久保智英が仕上げた本節をお買い上げのお客様へ
忌憚のないご意見、ご感想、そして、久保智英への叱咤激励の
お言葉をお寄せいだだきたく存じます。
あなた様からの声は枕崎の久保智英まで私が責任を持ってお届けします。 |