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築地の風景
by 築地本店店長、黒川春男
2005 年7 月22 日
先日、築地の店に兵庫県にお住まいの女性からはがきを頂戴しました。はがきには
「長年の疑問がようやく解決致して、うまく鰹節が削れるようになりました」との
丁重なお礼の言葉が述べられていました。
実は6月に入り、インターネットの伏高のホームページで新企画として築地の店での『鰹節 削り方教室』を打ち出して募集したところ、
二番目に電話を頂いた方がこの方でした。
小雨の降るある日の昼近く、店先にタクシーが止まり、小柄で上品な老婦人が降り立ちました。
「黒川さんでしょ。すぐに判りました。」私、驚きました。初対面なのですから。
あいさつもソコソコに持参された黒いバックから二台の削器(荷物はこれだけでした)を取り出し、
私に手渡された。
カンナ刃の調整を終え削り始めると、婦人「えっ、手前に引くんだとばっかり思っていました。
戦前、母からそう教わったから。」私「体重をかけて力で押し出すといった方が、ホラよくかけるでしょ。」
婦人、目を丸くして「まあほんと。」小柄なご婦人が体重をかけやすい様に低いテーブルへ移動する。
暑いムシムシする日でした。削るというのは見た目以上に大変な作業です。一汗も二汗もかきます。
婦人、削ったヒラヒラの鰹を口に運ぶと「これです、これ。私の記憶の中にある削り節は。昔の思い出、
そのままの形と味よ。」そして、えんえん半時間この繰り返しが続きました。
額にはうっすらとにじむ玉の汗。一心不乱で削ってらっしゃる姿に、上着を脱がれては、
と声をかけるのもはばかられる程の気迫です。一段落すると表情に安堵の色が浮かび、
「これで息子にも顔が立ちます。なにしろこの教室の為だけに上京するっていったら、息子に笑われたんです。酔狂なって。」
そうだったんです、やっぱり。一同恐れ入りました。まさかこの為だけに・・・。
家業を息子さんに譲られ、時間的余裕があるにしろ、一時間にも満たないちょっとした講習の為に新幹線で遠路はるばる・・・頭が下がります。
もちろん、笑って送り出した息子さんにも。
私の母親と同じくらいの年格好ですから、戦中・戦後の食糧難の時代が青春だったと思われます。
この頃の家庭にはそれぞれの家の自家製の味があったと思います。母の味です。
この方の鰹節への格別のこだわりは、この十代の頃に何を食べたかとう幸福な体験から来るものでしょう。
今の十代の娘さん達がこの方の年齢に達した時、どんな心をふるわす様な食物の思い出を持っているのかと不安になります。
また、自分の子供達へどんな母の味を、そして、思い出をあげられるのか心許ない思い出いっぱいになります。
「じゃ、この辺で美味しいお寿司でもいただいて兵庫へ帰りますわ。」と帰り支度。「小一時間も並ぶ位なら、銀座に出られた方が気が利いていますから」と、
私、タクシーをつかまえるに晴海通りへ小走り。
タクシーのドアを閉めた後も何度も頭を下げられる婦人に一同深々と礼をして送り出した。
お客様には色々と教えられる事が多い。こういう方と出会えるのも仕事冥利というものでしょうか。
とにもかくにもご苦労様でした。