あらためまして、おはようございます。
伏高の中野です。
年末27日の朝、突然
鹿児島は枕崎から訃報が届いた。
26日の夜、弊店の取引先の
製造家さんが、交通事故で
亡くなったのです。
いやー、びっくりしました。
だって、亡くなった方とは9月に
枕崎で昼飯を食べ、つい
10日前には電話をしてたんですから。
弊店の通販ラインナップで言うと
鰹荒節血合抜の削節
鮪荒節血合抜の削節
かつお荒節の削節
の原料の半分を担っている方が
亡くなったのであります。
67歳にして、奥様、娘さん、そして
お母さんを残して亡くなってしまった。
お母さんは、私の父と同い年
昭和3年生まれだから、人ごとじゃない。
亡くなった製造家さんとは
私が学生の時、初めて会ったのです。
だから、生まれて初めて知り合った
鰹節製造家さんなんですよ。
とある日曜日、家でテレビを
見ていると、突然の来客
「 枕崎の◯◯ですが
社長様はご在宅でしょうか? 」
鹿児島から、わざわざ父を訪ねてきたのです。
あいにく父は築地の店で仕事をしてた
早速、職場の父に電話をして
製造家さんの来訪を伝えると
「 あー、そー
オレは仕事がまだまだあるから・・・
そう言って帰ってもらいなさい 」
ときたもんだ。
仕方ないので、丁寧に父の不在を伝え
彼には、お帰りになっていただきました。
後で父に話を聞くと
その数日前、父はその製造家さんと
商売の事でモメにモメて、怒り狂った父は
電話をたたき切ったんですって。
で、日曜日に謝罪の為に
鹿児島からやってきたらしい。
それにしても、わざわざ鹿児島から
飛んでくるなんて・・・
鰹節屋って大変な、というか
厄介な商売なんだ
と思った覚えがあります。
それから10年後、やっと鰹節屋に
なった私は、その方と枕崎で再会
なんと、その方のご自宅に3泊4日
鰹節の製造現場を経験させて
いただいたのです。
だから、私にとって
実践面での鰹節屋の師匠なんですよ。
そんな師匠が亡くなったからには
なんとしても鹿児島へ行かねばならぬ。
早速、ネットで翌日の飛行機の予約
でも、帰省の時期でほぼ満員。
運良くJALに空席が1つだけあって
28日のお通夜に間に合いました。
東京のお通夜だと、読経の中
焼香し、別室で精進落とし
こんな感じですが
所違えば、お通夜も違う
枕崎では、お坊さんもいなければ
精進落としもない
会場について、受付をして
焼香したら、終了なんです。
で、一度ホテルに戻り着替えて
枕崎の製造家さん達と
夕食をともにしました。
どうしたって、故人の話にあります。
どうやら、26日の夜
相当に酔っ払った鰹節屋3人で
車道を横切った際
車にはねられ亡くなたようです。
他の2名は、無傷の方が一人
重傷でいまだ入院されている方が一人
人の運命は紙一重
としみじみ思いながら飲んでると
「 社長、飲むのはいいけど
ほんと、気をつけてくださいよ 」
と、真面目な顔して取引先に
言われてしまった。
実は家に帰ったら、カミさんにも
同じ事を言われた私
まったくもって信用がないのですが
今までの行動からすると
仕方ないのでしょう
ですが、さすがに、あれから
一応、気をつけてます。
師匠の会社は、お嬢さんが引き継いで
商売を続けてます。
鰹節屋は、基本、まだまだ男社会
だから大変だとは思いますが
私もできる限りの事はしますので
お嬢さん、頑張ってください。
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