鰹節屋の昔話
第二十二話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
焼き芋屋・駄菓子屋・ 紙芝居
今は、移動販売ですが、戦前には焼き芋屋のお店がありました。
大人しい親父さんが大きな釜から焼き芋を出して呉れるのです。それと、
今川焼きに代わって、皮の色が白い「ぱんじゅう」というのが出来たのは、支那事変の頃だったでしょうか。
夏は、かき氷、キャンデーとアイスクリ−ムに変身。
此処の親父さんは、小太りで、焼き芋屋然として居て、夏になると、どうも馴染めず、
甘味の浪花家の方へ行ってしまったものでした。
戦後、親父さんそっくりの次男が、バッテリー屋になったので、焼き芋の釜は残っていません。
町内に駄菓子屋が、二軒ありました。
どうしてか、どちらも親父さんで無愛想どころか、かなり威張っていたという印象しかありません。
一日一銭か二銭の小遣いの子供ばかりでは、愛想よくは無理でしょうが、
とても子供達を可愛がっている様子ではありませんでした。
紙芝居も二軒、週に一度必ず来ました。黄金バットの紙芝居屋さんの小父さんは、
大きなドラム(?)で、ドンガラガッタ、ドンガラガッタ、ドガドンと町内を一回り、
もう一軒の方の小父さんは、拍子木をカチカチ鳴らし回っていした。こちらがどんな
紙芝居をしていたかは覚えていません。紙芝居と言えば黄金バットの時代でしたので、
黄金バットの紙芝居屋さんの方が人気者でした。
「タダ見ダメ」と必ず言うので、度胸のない、私は木の箸に巻きつけて呉れる水飴を必ず買いました。