鰹節屋の昔話
第二十一話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
立ち食いの蛇の目すし
私の店の筋向い、小田原橋の袂に蛇の目寿司と言う立ち食いすし屋がありました。
勿論、床店(トコミセ)で、時折、父親に連れて行ってもらいました。
その頃の立ち食いは、お客が立っていて、職人が腰掛けていたのを覚えています。
私は鉄火巻きが大好きで、それも、わさびの辛さに涙が出るほどのが好きでしたが、父親は、
こはだが大好きでした。
あるとき父親に倣い、初めてこはだを食べてみたら、その美味くない事、
父親が若いときに、大好きなこはだを断った話を散々聞かされていたので、何故こんなものをと、
どうしても判りませんでした。この玄妙な味が判る様になったのは30歳近くなって
からです。
この町内には、昭和15年頃に、今も晴海通りにある、「丸川すし」が床店で出たところ、結構
安かったので評判になり、それと午後も商いをしていたせいで、かなり繁盛していました。
立ち食いの、蛇の目寿司の隣には静岡から来ていた富士印という、粉わさび屋がありました。
この店は何時もお客がいるのを見たことがなく、粉のわさびがどうして商売
になるのだろうと子供心に不思議に思っていました。それが、戦後、カネ九と言う粉わさびが出て、
凄い売れ行きでビックリしました。
おかしな話と思うでしょうが、家で食べるお刺身は大根おろしに醤油という食べ方で、
子供のせいもありますが、わさびなど使った覚えがありません。
隣の店は促成野菜というか「妻物屋」でしたが昔はこんなものでしした。
その他にすし屋は隣の築地四丁目に「松露」と「寿司清」の二軒、松露の方が高級で殆ど築地、
新橋辺りの料亭に出前専門では無かったかと思います。寿司清へは、私が可愛いかった所為(?)
でしょう、お客さんに結構連れて行ってもらったことが何度かありました。
微かな記憶でしたが、土間にカウンターがあって、此処でも、寿司清のおやじさんは腰掛けていたのでは
なかったかと思います。多分、買出人が寿司をつまみながらお酒を呑んでいた
のではないかと思います。戦後になって松露は卵焼きに転業しました。
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| 注. |
「妻物屋」は山葵などの刺身の「つま物」を売る商売です。
「つま物」から「促成野菜」まで、飲食店向けの高級八百屋
といったところです。 |
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