鰹節屋の昔話
第二話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
木造の魚河岸
小学校へ上がる前に父親がよく河岸へ連れて行ってくれた木造の市場を思い出します。
今、付属商の棟のあるところです。
大正12年の震災で日本橋から一旦、芝浦へ移り、築地にあった海軍工廠の処に木造の
市場が出来たのだと、聞かされていました。魚河岸100年史(食料新聞社刊)では、
震災は大正12年9月1日で、芝浦臨時市場は9月17日開場、築地は12月2日開場
とありますから、生鮮食料のせいか、かなりの早い復興だったと思います。
日本橋の魚河岸、次の芝浦へ移ってからも問屋仲買兼業をしていた私の父親は
顔なじみの店が多かったのを覚えています。
父親と一緒に河岸へ行くのは楽しみでした。
何故って、その日の夕飯はマグロの刺身とか、鯛チリ、又カレイの煮付けとかで、
その時季の魚、つまり、旬の魚でいつものおかずより数段上だったからです。
いつもは魚屋から出前の刺身は父親の分しかなく、父親が長火鉢のドウコでカン
を付けている姿は今でも思い出します。今と違って一家の主だけ、
上等な物を食べていたのでしたが、それが当り前だったのでした。
面白い事に住み込みの店員、女中が居たので、結構な量になるのに、
おかずの魚は河岸に買いに行かず、御用聞きに来たり、車を曳いて来る魚屋から買っていました。
御用聞きに来る魚屋の他、車を曳いてくる魚屋にも店がちゃんとあり、
小僧さんが店から一応買取って(元値が判るようにして商売のコツを勉強したのです)
売り歩きながら修業していると聞きました。それで、魚が残ったら困るので、
住み込みの人数が多い家をお得意にしたりして、魚を片付けて居たと思います。